こんにちは、バヌアツに到着して初記事です。

国民の死に対する感度が変わらなければ、この国が発展していくことは難しい。
これはバヌアツ到着初日に、JICAの現地スタッフの方から言われた言葉です。
問題意識と死の捉え方。
バヌアツでは、働き盛りの30~50代の人々が、度々謎の突然死をするといいます。
原因はよく分かっていないらしいのですが、(医療水準の低さや、アルコール代わりに飲まれているカヴァの文化が影響しているのではないかと言われていますが、確かではありません。)
昨日まで普通に話をしていた隣人の葬儀を、翌日にやっているという状況が時々起こるとのこと。これに対して彼らは、

それは仕方のないこと。神様からのお迎えがあった。
といって、前向きに(折り合いをつける)捉えるのだそう。
ですが、働き盛りの一家の大黒柱が亡くなったとしても、この国の人々は大きな家族・親戚のコミュニティで支えあって暮らしているので、子供が孤児になることはほとんどありません。
↓↓バヌアツ人の死生観が分かる記事(記事後半)があったので、貼っておきます。↓↓

また、この考えがベースにあるためか、生活習慣や衛生状態などを改善しようと介入を試みても、彼らは何も困っておらず(国民が援助慣れしているという背景もありますが)、
彼らにとって何かを解決するべき状況にはないため、行動変容につながりにくい現状があります。
なので、いわゆるボランティアや国際協力師が入っていって、「問題」を解決しようとしても、なかなか上手くいかないことが多いといいます。
死生観の変容は必要か。

国の発展を促すためには、既存の価値観・死生観を変えていく必要がある。
これは、一方では正しい見方なのかもしれないと思いながら、私はこの考え方に、もやっとした違和感を覚えます。

死生観を変えてまでしなければいけない発展って、一体なんなんでしょうか。
「毎日楽しく生きて、然るべきタイミングで、お迎えが来たらそれを受け入れる。」彼らは何か間違っているのでしょうか。
(むしろ私は、彼らの死生観に対して、共感と深い安心感を覚えました。
私が「急性期病院で働いていたときに感じてはいたものの、言葉に出すことが憚られた違和感」を、この国の価値観ならば受け入れてもらえるのではないかという安心感がありました。)
この感性を無理やり変えることなく、援助ができたら理想なのかなとも思うのですが…難しいのかな。
何だが頭がこんがらがってきた><
これからの課題。
「彼らにとっての幸せ」とは何なのか。
「私たちの幸せ」を押し付けることが、人助けなのか。
国際協力とは何のためにあるのか。
到着初日にしてわからなくなりました。

「国際協力とは、人助けとはなんなのか。」これを考え続けることを自分のこれからの課題としていこうと思います。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございました!
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2020/2/8
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