「私が一番大切にしてきたことは、患者さんや同僚とのコミュニケーションです。」
JICAの面接や、学生時代の就職試験でさんざんこんなセリフを繰り返してきました。
だけど、このコミュニケーションという能力…
こんな上等な能力が私に備わっていたことなんて、生まれてから一度もありません。
そんなコミュ力皆無の人間が青年海外協力隊なんて、きらきらしたところに参加したらどうなるのか。
↓↓なんだかんだでちゃんと最後は救われます。ハッピーエンドです。↓↓
言葉が通じない以上のストレス。
「海外生活で言葉が通じなくてつらい」
これは初めての海外暮らしをするということで、ある程度想像していました。
だけどまさか、日本人同士の関わりでこんなにストレスを感じることになるとは、思ってもいませんでした…
だけどそれ以上に、日本人であるという共通点のみでくくられたコミュニティの中で、過ごさなければいけないことは、 想像以上につらいものでした。
色々な事情が重なり、すでに2か月弱、連絡所と呼ばれる共同生活所(新規隊員や地方隊員、療養隊員のためのアパート)で 、
2~4人で1部屋をあてがわれ、様々な人が入れ替わり立ち代わりするところで 共同生活を送ってきました。
海外で慣れない生活をしている上に、自分の時間も空間も持てないというストレスが、常に傍らに寄り添っております。
そんな生活に追い打ちをかけるように、みんなでご飯を一緒に作ったり、一緒に買い物に出かけたり、現地で知り合った人と一緒にご飯を食べに出かけたり。
時々開かれる、隊員同士の飲み会や歓送迎会があれば参加し、みんなと仲良く過ごします。
私だって気持ちと体力に余裕があれば、色んなコミュニティに参加して、楽しく友達の輪を広げたい(´・ω・`)
周りの隊員たちは、すごく仲良しに見えるし、生き生きとしているようにみえます。

でも、頑張って無理をして色々な会に参加をしても、すぐに具合が悪くなってくるし、早く帰りたいと思ってしまう…
その輪の中に自分はいないのだと、そう思うだけで、それもまたつらいことこの上ないのです…
さらなる追い打ち。
ある日、そんなことを日本の友人に話したら、

その、青年海外なんとか隊っていうのは、大抵みんな陽キャなんだろう。
お前のような陰キャが入っていった所で、馴染めないのは最初から分かっていただろうぞ…
と言われてしまいました。確かに…(´・ω・`)
陰キャじゃ、青年海外協力隊になじめない。

え、まって。私って陰キャだったの?
ちょっと最初に教えてといてよ。そういう大事なことは!
そうだったのか…
そして絶望に打ちひしがれ、一昼夜のたうち回ったのでした。
絶望の底から這いあがる。
でももう来ちゃったし。しょうがない。
もうどうにもならないことで、私は遠い外国まで来てなぜこんなにくだらないことに悩んでいるのか。
しばらくして、ようやくそんなことを思えるようになり、自分に与えられたこの大切な時間を、自分がもっと楽しく、もっと幸せであるために使いたいと考えを改めました。
それからは、無理に周りに合わせるのをやめ、自分の時間を大切にするようになりました。
隊員の9割以上が参加する送別会も、行きたくないなら行かないし、飲み会に誘われても行きたくなければ断るし、ご飯だって、お腹がすいてなければ、食べないし作らない。
そうして、そんなことを少しずつやり始めていってやっと気づけました。
私が送別会にでなくても、誰も気にしていないし、自分のペースで好き勝手に行動していても、何も言われない。
「みんなでうぇいうぇいするだけが、リア充じゃない。
陰キャでも陽キャでもなんでもいいから、自分が楽な方法で毎日を過ごすのが吉。」
そんなことに気がついた2か月間でした。
<どんな人も、楽しい時間を生きられますように>
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2020/3/14
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