しんどいことも多い看護師生活でしたが、そんな中でも何人もの患者さんに私は救われてきました。
その中の何人かは、もうこの世にはいませんが、いつも助けてくれていた彼らに感謝の気持ちを込めて、彼らとの思い出話を残しておこうと思います。
今回は、悪性リンパ腫で長い間治療していたあきらさんの話です。
愚痴を聞いてもらう。
彼は悪性リンパ腫の中でも、 比較的治療が効きにくい病気で治療中でした。
なので、標準治療が終わった後もに色んな抗がん剤を試したりして、長い間入院治療を継続していました。
あきらさんは、もうすぐ70歳になろうかという男性で、昔は有名なIT企業に勤めていた関係で 、よく海外出張に出かけていたらしく、英語も堪能。
入院期間中はいつも仲良くさせてもらっていて、部屋に行けば何でも話せる、穏やかなおじさんでした。
ある日、私が理不尽なことで医者あたられ、感情が乱れに乱れていた日こと。
あきらさんの部屋に入ると、彼は「やあ」と言って暖かくで迎えてくれました。
私が、「話聞いてください!」というと、「どうしたの?」と言って話を聞いてくれました。
私がついさっきあったばかりのこと話すと、「そうかそうか、看護師さんは色んな板挟みで大変だよね。」といってそのあと、昔話をしてくれました。

昔会社に勤めていたときね、すごい横柄なやつがいてさ。
そいつが自分が気に入らない後輩をいびってたから、俺、我慢ならなくて、河原に呼び出してぶん殴ってやったんだよ。
人生さ、理不尽なことってたくさんあるよね。
Σ(゚□゚;)
とんでもないな!((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
人生経験を積んでる人は、私みたいな若者よりたくさんの修羅場を乗り越えているんだなーと思ったのを覚えています。
理不尽に怒鳴られて存分に凹んだ日ではありましたが、そんな話をして一緒に笑っているうちに、私も元気をもらえていました。
そんな感じで、彼に時々楽しかったことやしんどいことを話しては、今日も頑張ろうという気持ちになっていました。
患者さんの所で、こんな話をするのは良いことではないけれど、他科の医者の話だし良しとしよう(´・ω・`)
午後の日向ぼっこ。
あきらさんは、毎日お昼過ぎになるとふらふらと出かけていって、病院前のバスロータリーのベンチで日向ぼっこするのが日課でした。
抗がん剤を使っている患者さんは、投与してしばらく経つと感染に弱い時期がくるため、時期によってはクリーンルームから出ないように指導しています。
ですが彼は、どんな時期だろうと関係なしにふらふらとどこかに出かけては、戻ってくるというのを毎日繰り返していました。
彼も十分にリスクを理解していて、私がそれを言うと「そうだねー」なんて言ってのらりくらりと、いつもかわされてしまいます。
こんな閉塞感漂う病室に何週間もいたら、どこかに行きたいの気持ちもわかるので、こういう時はいつも複雑な気持ちで彼を見ていました。
70年間、おつかれまさでした。
そんな入院生活を繰り返していたある日、 予定入院ではない日にあきらさんが入院してきました。
気になって様子を見に行くと、案の定具合が悪くなって入院してきています。
息も荒く、お腹も腹水でパンパンに膨らんで、起き上がるだけでも、精一杯の状態。
それでも、ゼーゼーいいながら、彼は私たちがケアをするたびに 「ありがとう、ありがとう」と言い続けています。
そんな彼を見ながら、

もうすぐなんだなあ。彼はあと何日、この苦しみに耐えれば楽になれるんだろう…

もう部屋に行って、昔話を聞かせてもらうことはもうできない。私も彼に色んな話を聞いてもらうことは出来なくなるんだなあ。

私が彼の死を身近に感じるずっと前から、彼の隣にはもっと前から死があったんだなあ。
そんなことを考えながら、初めて彼に対して死を意識していました。
治療こそ続けていたけれど、もう長くないと自分で分かっていたから、
閉塞的な入院環境のなかで、自分が気分よくいられることをいつもやっていたんだと、事切れる間際の彼を前にして思っていました。
最後に。
70年間、お疲れさまでした。
今でも、あなたを思い出すときは、いつも「やあ」と言って、温かく病室に迎え入れてくれた笑顔です。
あなたが生きていたことを忘れないために、思い出とともにここに書き残します。
<あなたの存在は、私の看護師生活の支えでした>
今日も最後まで読んでいただきありがとうございました!
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2020/3/15
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